吾妻郡高山村中山城址散策記
2023-01-09



〓帯曲輪南堀切跡
 三の丸の西側部分を北へさらに進んで行くと三の丸と帯曲輪、その先で北側の二の丸との間の堀切跡が伸びている
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J北曲輪北堀切跡
 さらに北上すると北曲輪北側の堀切跡が東に続いている
 ここで右折して方向を東に転ずる
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K北曲輪と帯曲輪の縁
 堀切の道路を進むと右側が北曲輪の縁、正面が帯曲輪の出はなと思われる地形に出合う
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 城址東側の道路を出発点に向け進む
 東側から本丸の北、南の空堀を確認する

L東側より本丸北側の空堀 
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M東側より本丸南側の堀切
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 出発点@に戻り散策無事完了

中山城址は囲郭式で北条系の築城形式は北毛地域では特異な存在と見られている。吾妻記によれば、天正10年「中山城主中山右衛門尉は津久田にて討死、早速白井より赤見山城守要害持ちに被遣差置、其節小田原領になり」とあり、赤見山城が城代の頃築城したのではないかと推定されている。

令和4年10月19日撮影

           群馬県吾妻郡高山村    (令和5年1月10日)



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