湯村温泉 夢千代像(令和元年5月13日)
2019-05-28


夢千代日記のテレビドラマは今でも鮮明に記憶として残っている
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春来川を見下ろす夢千代像は色褪せてきたが私の記憶の中では褪せることがない
私が歳を重ねたためか最近テレビドラマは薄っぺらに感じて見る気がしない。夢千代日記を今でも思い起こすのは強烈にこころを揺すらすものが記憶に刷り込まれたからと思われる。このようにこころに刷り込まれた記憶はセビア色にはならないのだ。

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湯村温泉は新温泉町の温泉郷のひとつになり湯村温泉の名前が遠くなったような気がする。私が初めて湯村を訪れたのが1982年11月のことであれから37年も時間が流れた。当時は鎮座する慈覚太師像には屋根はかかってなかった。記憶に残っているのは湯けむりでけぶる荒湯と湯が流れるせぎで山菜などを茹でる土地のひとびとの営みであった。

         1982年11月23日の荒湯
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         2019年5月23日の荒湯
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何故37年も過ぎてもこの温泉に行きたいとの思いを持ち続けたのか、説明できるような明確の理由は見つからない。長い歳月が経ても100度近い熱湯が噴き出している荒湯が湯村の象徴あることに変わっていない。土地の人々の営みも変わっていないように思えた。

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旬の収穫物のタケノコやワラビなどを持ってきてしたの湯つぼで湯がいていは立ち去る。その端では観光客が店で買い求めてた卵を茹でている。

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温泉橋は昔のとおり春来川に架かっていた。欄干には花模様が刻まれた竹筒が括り付けられていた。福知山Iから9号線沿いの道すがら但馬の山は竹林が多いなと感じて来たことと荒湯で大量の筍を湯がく人々の姿とが連鎖してこの地方の竹とのつながりを合点する景色となっいた。

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その温泉橋の下で春来川の流れにゆったりと時を進める一羽の鷺鳥を見た。朝日のきらめきを身に受けこんなに美しく輝く鷺鳥は見たことがない。37年前の私達もここに来てこのように若く光輝いていた。

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1982年11月23日まだ30代そこここの私は中国地方のバスツアーに参加してこの湯村温泉に1泊した。ホテルはニューとみやと日記に記されていた。ホテルの部屋は大部屋で3組の夫婦の相部屋となった。私よりひとまわりうえ亥年の方とまたそのひとまわりうえの亥年の方と偶然干支のめぐりが合う3組の夫婦がそろったことを一番年下の亥年であった私は今でも懐かしく思い出す。しかし今では私はいちばんうえの亥年の方の年齢を超えてしまった。あの時相部屋となった亥年の夫婦の方々は今でも達者であるかな気を回すのである。
   街にいで湯がしゃんしゃんわいて
   ここは鳥取いで湯鳥取君を待つ

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[温泉]

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