九州北部の旅C甕棺に思う
2018-03-19



甕棺というものを実際目の前で見たのは初めてだ
素焼の甕で大きい物は高さ1メートル20センチ、口の直径は70センチ程度で、高さ50センチほどの所に補強のためかつなぎ目であるのか二重の縁がまわっている
小さい物では高さ40センチ程度、口の直径は40センチ程度のものがある
この時代大人も子供も甕棺に入れられ埋葬されたのだ
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                      (吉野ヶ里遺跡にて)
棺に甕が使われたのかその理由は想像しがたいが人の死者に対する暖かさを感じる
甕棺は少し傾けて土中に埋められ埋葬者の視線は真上ではなく斜めとなる
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通常は棺の上下は甕と甕の組み合わせであるが、甕と壷の組み合わせも出土した
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                     (奴国の丘歴史資料館)
甕棺の強度の問題であるのか深くは埋められないようだ
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                   (吉野ヶ里遺跡 甕棺墓列)

埋葬者はまるで子宮のなかで浮かぶ胎児のように見えた
甕棺は魂を鎮める揺り籠のようであり、あの世へ戻るカプセルのようでもある
甕が選ばれたのは母体回帰の意味合いがあったのではないかと想像した
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                  (吉野ヶ里遺跡 北墳丘墓)
位の高い者は副葬品として剣や鏡、管玉などが入れられた

戦いの痕跡を残す人骨
吉野ヶ里遺跡の甕棺墓は約2900基発見され、そのうち300基から人骨が検出された
首のないものや 矢じりが刺さっていたり 刀傷のある骨も発見されている
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                  (吉野ヶ里遺跡 首のない人骨)

当時の葬式はどのようなものであったのか?

奴国の丘歴史公園にある竪穴遺構は埋葬に関係した建物跡の可能性ありとある
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                  (奴国の丘歴史公園 竪穴遺構)

魏志倭人伝に葬儀の様子が記されている

                其死有
棺無槨封土作家始死停喪十余日当時不食肉
喪主哭泣他人就歌舞飲酒巳葬挙家詣水中澡
浴以如練沐
             「魏志」倭人伝

棺はあるが槨はないとある
 棺は甕棺や木棺であったろう そして外棺はなく直接土に埋められたということか
誰が葬式を取り仕切ったのか
 卑弥呼のような鬼道に仕える霊媒師のようなものが行ったものなのか
他人は歌舞飲酒とあるが
 今の葬式でも清めといって酒宴を催すのと同じだね

甕棺は日常使用していた甕を使ったものではなく、そのつど誂えたもののようだ
その点甕棺は死者を敬う人の気持ちをかたちとした包みと思えないこともない
また丸い甕の内壁は死者へ永遠の宇宙を提供したものになったのかもしれない

         佐賀県 吉野ヶ里遺跡    (2018年2月)
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