ベルギーといえばナポレオンの最後の戦いの地ワーテルロー,一次大戦ではじめて毒ガス兵器が使われた地イーペル,二次大戦における撤退作戦の地ダンケルクなど戦争にからむ地名が記憶として留めている。
ほかにはフランダースの犬や名探偵ポアロ位しか思い浮かばない
アントワープは15世紀後半毛織物の交易で栄えた街であるとの説明があった
また1300年代はヘント、1400年代はブルージュ、1500年代はアントワープと貿易の拡大に伴い繁栄の女神は移っていった
1.アントワープにて
英作家ウィーダはベルギーに1カ月滞在している間に4つの短編を書いた。そのうちの1つクリスマスのはなしとして書かれたのが「フランダースの犬」である。1908年ウィーダはイタリアで死去したことをきっかけにして日本語版が刊行された 日本語版ではネロはキヨシ、パトラッシュはブチと訳されたそうである。
ノートルダム大聖堂の広場にあるネロとパトラッシュの像
フランダースの犬は日本では大変有名であるが、現地のひとびとにはほとんど関心がない。その理由のひとつには原作を読んでみれば理解できる。以下原作の訳文より
「フランダースはあまり目をたのしませる風景がありません。とくにアントワープのまわりは、ばっとしないといえるでしょう。麦畑に菜の花畑、牧場や耕作地が、だだっぴろい平地にならんでいるだけです。せいぜい絵になるとするば、かなしげな鐘の音をひびかせるやせっぽっちの灰色の塔とか、落ち穂の束をかついだ人や薪の束をはこぶ木こりが野原を横切る姿ぐらいのものでした。どこを見てもあまり変化がなくたいくつで美しいものではありません」このように書かれたら地元のひとびとは好い思いはしなかっただろう
アントワープの語源とは
古代ひとびとを苦しめたスヘルデ川に住む巨人アンティゴーンをローマの戦士ブラボーが退治したとの伝説に由来すると言われている 英雄ブラボーがアンティゴーンの手首を切り落としスヘルデ川に放り投げる像がマルクト広場の市庁舎の真ん前にある アント(手)ワーペン(投げる)ということだ 西洋では手首を切り落とす罰の風習があるようだ
アントワープはルーベンスの故郷である 塔がかたびっこのノートルダム寺院には「フランダースの犬」でネロとパトラッシュが悲劇的な最期を遂げたルーベンスの傑作が掲げられている
有名な画家を夢見たネロは祭壇が「天にのぼる聖母マリア」のまえでひざまずいた
聖歌隊席の両側に置かれているカーテンのかかった二枚の絵を見たいとの願いをけっして諦めずに心に抱いていた
ネロがその願いをかなえられたのはクリスマスイブの晩、コンテストに優勝できなかった失意のネロは雪の中深夜のミサを終えた大聖堂へようやく辿り着き暗闇の中で二枚の絵のカーテンを外しておいた
ネロとパトラッシュが二枚の絵を最後に見られたのは雲間から顔を出した月の光が窓から射し込み二枚の絵を照らしたからです
十字架にのぼるキリスト
十字架からおろされるキリスト
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